3月1日(日)@水道橋Ftarri 午後7時30分開場、8時開演 http://www.ftarri.com/suidobashi/
1,500 円 飲食持ち込み自由
・大蔵雅彦(アルト・サックス)+ 杉本拓(ギター)デュオ
・山田光(アルト・サックス)+ 黒澤勇人(ギター)デュオ
・大蔵雅彦(アルト・サックス)+ 山田光(アルト・サックス)+杉本拓(ギター)+ 黒澤勇人(ギター)カルテット
90年代の終わり頃、「音響的即興」なる概念はまだなかったか、あるいはあってもあまり知られていなかった。少なくとも自分達のやっているのがソレだなんて ことは誰も思っていなかっただろう。また、なるべく「演奏」みたいにならないようにしよう、ということもあまり意識していなかったはずである。当時は(音響的なアプローチをする)エレクトロニクスの巨匠達の音ですらまだ「演奏」に聞こえていたくらいだから、普通の楽器でそうでないものをやろうなんて発想はそう簡単には出てこない。私と大蔵雅彦のデュオもそれ――楽器の演奏――であったと思っている。何せサックスとギターなのだから。それまでの即興との違いは、音色を重視したことと、メロディー、ハーモニー、リズム等の要素が演奏に現われるのを排斥しなかったことくらいなのでは? それが原因なのかどうかわからないが、私たちは「音響的即興」が騒ぎ立てられていた時代にはもうデュオをやめていたような気がする。あれから15年たった。今度のデュオが当時とは違う音楽になることは間違いない。しかし、何を根拠に私はそう思うのであろうか?
(杉本拓)
ローリングストーンズが"I'm Free"や"We Love You"を演奏するとき、いつの時代でもそのメッセージは文字通りの意味であり諧謔は一切含まれていない。彼らは聴衆の所有物であると同時に完全に自由でもある。なぜそんなことが可能だったのか、そしてなぜ彼らは同期の悲運な天才達より長くしかも無傷でスーパースター業を勤めあげることができたのか、それは「キースとミックが誰よりもかっこいいから」で、なぜキースとミックがかっこいいかといえばキースとミックがかっこいいからに他ならない。これはもちろんトートロジーだが、私たちの生とその平凡さはそもそも逃れようのないトートロジーの内にある。ローリングストーンズはトートロジー的な生の代弁者兼守護者であり、即興演奏はその生のトートロジー性を読み解き組み直す作業のひとつ である。
(大蔵雅彦)
お判りのように(?)、音楽家たちがその演奏から離れたところで諧謔や脱臼を発揮していた、というのが日本のいわゆる「「音響的即興」」のシーンの一つの特徴であった(特にヨーロッパと比べて)。そのことが即興演奏の脱神秘化に貢献したのか、それとも神秘化に貢献したのかは微妙なところなのですがそれはともかく、
大蔵さんと杉本さんの15年ぶりのデュオがあります。そしてヒト科で言うとちょうど一世代下の二人がサックスとギターのデュオという同じ編成で演奏します。何かを意識してやるというよりも、ただこの15-20年間で何があったかの一つのサンプルが提示される、そしてそれが何か良いものである、という日になると思います。よろしくお願いします。
(山田光)
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